【近代看護教育の母】ナイチンゲールという人物の解説

フローレンス・ナイチンゲールという人物を知っていますか?

日本のほとんどの看護師が看護学校に入学したその春に学ぶ人物・理論だと思います。
自分の時は夏休み前に看護覚え書をすべて読み、3000字程度の作文まとめるという課題が出て苦戦した記憶があります。

当時は読み進めても「ふーん」という感想でしたが、実際に看護師になってみるとナイチンゲールの偉大さが理解出来るようになりました。当時まだ衛生という概念が薄かった時代に綴った著書とは思えないほど正しいことが述べられています。

ナイチンゲールは患者さんの生命力の消耗を最小にするように、また持てる力を最大に発揮できるように、最良の状態に整えることが看護であると定義しています。

治療と診断・手術は医師、麻酔は麻酔医、血液検査は検査技師、画像検査は放射線技師、薬は薬剤師(実際看護師が管理投薬してるけど)、リハビリはリハビリ士、診療報酬請求は医療事務。なら看護師は?と聞かれたら結局は上記のことなのかなというふうに思います。

このページではナイチンゲールという人物から覚え書の内容を簡潔に分かりやすく解説していきます。理解のお役に立てればと思います。

目次

ナイチンゲールとは?

今より約200年前に誕生し、現代にもその考えが語り継がれ最新機器が備えられている日本の多くの病院でも看護師の行動規範として根底にあります。

また、看護職を1つの専門職として創起した人物であると言われています。

 

引用:ウィキペディア(Wikipedia)フローレンス・ナイチンゲール頁より

ナイチンゲールを知るにあたって有名なのが1853年から1856年の間に行われた「クリミア戦争」での貢献です。ナイチンゲールと看護婦団の働きにより死亡者数が大幅に減られたと言われています。つまりこの瞬間まで、戦死者は大多数が傷によるものではなく、病院内の不衛生ひいては感染症によるものだったと近年推測されています。

このように聞くと、戦争で有名になった現場の人間で現場を変えていった変革者なんだ!と思いがちですが、実際には36歳で戦争から帰還したナイチンゲールは【心臓発作で倒れ(wiki内の出典不詳。マルタ熱など諸説あり)】生涯を終える90歳までの54年間をベッド上での生活を余儀なくされ、実際看護師として働いたのは2年半程度しかなかったそうです。

しかし自身が記した書籍を含め、この54年の間に成し遂げた仕事こそ後世に残る大きな偉業でした。

ナイチンゲールの偉業

  1. 看護の祖
  2. 執筆家
  3. 統計学者
  4. 建築家
  5. 看護学校設立者
  6. 公衆衛生者

つまり看護の基礎を考え、それを書籍として執筆し世に広め、統計を網羅し建築を学び、自身で養護学校を設立した公衆衛生の第一人者と呼べると思います。まさに全ての看護職のトップ、近代看護の母とされているのも納得です。一体どれだけ多くの人をベッドの上から救ったのでしょうか

それぞれを簡単に解説していきます。

1.看護の祖

『看護覚え書』(1860年)にて人類史上はじめて看護の定義を明らかにしました。内容は膨大で多岐にわたりますが要するに、看護師の役割とは患者の身体に発動する自然のはたらき(今でいう自然治癒力)が最もその力を発揮できるように、生活のすべてを最良の条件に整えることとしています。

これは現在の看護にも共通しており、今も昔も変わることなく看護の本質として揺るがない思想となっています。さらに『看護覚え書』の表紙にも書いてある副題には〈What it is and what it is not – 看護であること、看護でないこと〉と書かれています。これは看護はこれだよ!それは看護じゃないよ!と定義しているのです。1人の女性の生涯の内にナイチンゲールは近代看護という制度と定義を確立され、看護師が道に迷わないように、だれもが健康的で人間らしい生活を送れるような社会に貢献したのです。

まだ『看護覚え書』を読んでない人、自分の学生時代のようにしっかり読んでない人、看護師をしているけれど日々の業務の忙しさに忙殺されている人、社会人として働いているけどこれから看護師を目指そうと考えている人。そんな方々には是非読んで頂けたらと思います。

2.執筆家

クリミア戦争後にベッド上での生活となったナイチンゲールは政府に提言をし、諮問委員を組織、そこで情報収集を行い内容を整理し報告書を作成していたそうです。多忙で過酷な日々で寝る時間さえ満足に取れない中で国民の健康を心配した中での執筆活動だったそうです。

テーマも多彩で、陸軍兵士の健康問題、病院組織や看護組織のあり方、植民地インドにおける人々の健康と幸福、社会学、統計学、宗教などさまざまでした。作品数は全部で150作でありそれらをナイチンゲール文書と呼ばれ現在でも完全に保管されています。

3.統計学者

ナイチンゲールは優秀な統計学者でもあり、イギリスにおける統計学の基礎を築いたともされています。現代では医療を含め様々な場面で統計が出されていて日々ニュース番組でも必ず目にします。ナイチンゲールは正しい数字の計算が生命を守れることを知っていたかのように戦地にも関わらず統計を取り、その結果が有名なクリミア戦争の結果に繋がったのだと考えられます。

4.建築士

病院は本来、病気から患者を回復させる施設であるはずだが、当時の病院建築構造や病院管理には欠陥が多く、病院内感染を誘発する温床となっていたそうです。そのためナイチンゲールは病院建築のあり方について見識を深め、『病院覚え書』という著書を出すまでになりました。

この考え方や建築構造は現代にも受け継がれ、国内の法律で病床面積や採光面積、窓の大きさやベッド間隔といったものが定められている。

5.看護学校設立者

クリミア戦争後にナイチンゲールの元へ寄付金が集められ、この寄付金を元手にしたナイチンゲール看護師訓練学校を設立。1860年に開校され、今も学校として継続している。

6.公衆衛生者

ナイチンゲールは不衛生な生活環境に対する国民の意識を改善し、具体的な衛生対策を提言、政府を動かして実現に持ちこみ、それ以後の感染症予防・公衆衛生に多大な影響を及ぼしました。

最後に

以上、フローレンス・ナイチンゲールという人物について解説しました。とにかく凄い人なんだよ!ということが伝われば幸いです。内容について補足や訂正があれば問い合わせフォームから連絡頂けるとありがたいです。

こちらでは実習で使えるナイチンゲール理論について解説していきます。

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