看護実習でのナイチンゲール理論
指導者が環境整備は?って言ってくるけど、どうしてやらなきゃいけないんだろう?
他にやることがたくさんあるのに…
実習中こんな風に思ったことはありませんか?看護実習ではおそらく環境整備が午前中に組み込むよう指導者や学校講師から指摘されていると思います。
私が病院に勤務していた時でも、午前中に清拭・オムツ交換・環境整備はほぼ行っていました。午前中に検査などの予定があれば最悪午後に行うこともありますが、こと実習においては【患者さんが気持ちよくその日のスタートがきれるよう】との考えから午前中に提案した方が評価も良くなる良いとされています。
ここで、なぜ環境整備が忙しい看護師の業務・実習内容になっているのか不思議じゃないでしょうか?
病室を清潔にするだけならば、専門職である看護師が行う必要は必ずしもなく、他職種や清掃の方がついでに行っても別に良いのではないでしょうか?
(もちろん、患者さんにとって1番身近な看護師がやることでコミュニケーションが取れたり、普段の様子と病状の比較ができたりと治療にも大きなメリットになることも実際多々あります。)
私が思うに、ナイチンゲールがこの行動の原理になっているのだと考えています。
ナイチンゲールは、新鮮な空気や陽光、暖かさ、静かさ、清潔さ、食事の規則正しさなど、人が人として当たり前に求めるものを、闘病している入院患者さんも同等以上に必要であると説いています。
この法則が守られなかったとき、つまり環境整備への知識不足や注意不足が患者へ悪影響を与えてしまう。ナイチンゲールは近代看護の祖として看護職を定義したとされています。
定義をした偉大な方が「環境整備は看護師の仕事だ!」と言っているならやるしかないですよね(笑)
以下のページには、エビデンスとなるナイチンゲール理論のそれぞれを簡単に説明していきます。
ナイチンゲール理論
- 換気と保温
- 住居の健康
- 小管理
- 物音
- 変化
- 食事
- 食物の選択
- ベッドの寝具類
- 陽光
- 部屋と壁の清潔
- からだの清潔
- おせっかいな励ましと忠告
- 病院の観察
換気と保温
今のコロナ禍ではどこのお店でも当たり前にしている換気についてです。
換気は大事ということは現代では義務教育でも学ぶようなことと思います。
しかしナイチンゲールが生きていた時代はそのような考えも不十分でした。よどんだ空気の病室に患者を寝かせるだけだったため、少しずつ消耗していく人もいたかと思われます。
同時に保温についても重要性を述べています。窓を開けるだけなら簡単ですが、患者の体を冷やさないよう配慮する。そのことも看護の役割だとしています。
清浄さを屋外の空気と同じにするのであって、室温を同じにすることではない
住居の健康
前編でナイチンゲールは建築士であると述べました。
建築構造の重要性についても述べています。患者の治療という点で、いわゆる看護師がソフト面とすると建物というハード面のことも重要だと理解していたのです。
建築の不備の程度に比例して、入院生活は不衛生となり、下水の整備がされないかぎり、清浄な水を確保することが難しいのだと理論づけています。
住居の衛生とは、清浄な空気、清浄な水、効果的な排水、清潔、陽光が重要な要点となり、唯一感染を予防する策である。
小管理
小管理という言葉を聞いてもよく分からないかもしれませんが、簡単に言うと自分が普段行っている「看護」について、自分がそこにいない時にもその「看護」が行われるよう管理することです。
月曜日は看護を提供(体内の回復過程を促進)し、火曜日は看護を提供しない(生命力を消耗)というのはありえないということです。
ざっくり言うと看護師の宿命でもある365日24時間シフトのことになります。
また同時にナイチンゲールは看護師の訓練についても説いており、有名な言葉として以下のような記述が残っています。
The nurse’s eye and ear must be trained…
Lynn McDonald(ed.)The Collected Works of Florence Nightingale.Vol.12 (The Nightingale School)p.723 Wilfrid Laurier University Press.
「看護師の眼と耳は訓練されていなければならない」ってことです
看護師が専門性を十分に発揮できるよう業務環境、労務環境を整え、スタッフの能力開発、人材育成を行うこと
看護師の労務環境が改善する日はくるのだろうか…
物音
ナイチンゲールは病院で物音を立てて動き回る看護師は患者にとって恐怖であると考えています。忙しいくて人が少ないんだから仕方がないじゃないか
確かにその通りだと思います。不要な音は突然の大きな音は患者さんを消耗させてしまいます。
また病室やドア越しの看護師同士のヒソヒソ話はもっと良くないと述べています。当時から看護師同士のヒソヒソ話はあったんですね。自分が入院するとしたら、騒音ばかりの病室だったら嫌になります。
お互い気を付けましょう。
故意であれ偶然であれ、眠っている患者さんを起こすようなことは絶対にダメ
変化
変化の無い地味な人生は嫌~~!
みたいなことを言っている人は周りにいませんか?そして毎日インスタストーリーやってアウトドアして旅行へ行っていた同期がいます(※コロナ前)。同じ給料なのにようもつなと思っていました。
すみません、話が脱線しました。
変化とは回復の手段になり、色や形、光などは回復の手段ともなります。
逆に同じ場所に長時間いて何も変化がないことは、心身に苦痛を与えるということです。
ただし、急な変化もよくなく、ゆっくりとしたものが適切であるとナイチンゲールは考えてます。
患者の眼に映る様々な物や形、色彩の美しさは、回復をもたらす手段である
患者さんによっては特定の看護師に会って話すだけで生き生きとしています。
皆さんもそんな存在を目指してみてください。
食事
【私見】患者さんにとって食事はとても大切な栄養摂取の手段であり、楽しみの時間であり、朝昼夕のけじめがつく日課のようなものであり、食欲や活気の状態をみる時間でもあると私は考えながら仕事をしています。経験上、高齢者の方の食欲が落ちたり、嚥下能力が落ちて食べれなくなると状態が悪くなる予兆であることが多いです。一過性のものであることが多いですが、人によっては目に見えるほど日に日に弱っていくことになります。医師の多く、特に経験の浅いDrはあまり食事量を気にせず採血結果のみ集中していることがあるので、看護師の気づきと早期発見、対応(点滴や形態変更等)が大事だと考えてます。
※体重が減少しただけでは、利尿剤の投与で浮腫が解消しただけかもしれないため、様々な視点を持ってアセスメントしてください。
実習中も、ぜひ担当患者さんの食事摂取量・形態などに注意してみてください。
(そこに気づいて報告すれば、おっ!と思われるかもしれません)
ナイチンゲールは食事の時間(タイミング)も重視しており、患者さんが食べることのできる時間に食事を運ぶようにと述べています。さらに食事中の病人をひとりにしておくことも大切としているが、これは個人的に高齢者や嚥下障害のある患者さんに対しては見守りは必須であると付け加えます。
食事は患者に合わせた食事方法・時間を考えることが大切である。
食物の選択
食物の選択とは患者の食物の影響を注意深く観察してそれを医師に報告することが含まれます。
ナイチンゲールの時代では高齢者は今の日本より格段に少なく恐らく上記の考えも消化器の状態に合わせてとのことだと推測できますが、現状の日本では高齢者、嚥下障害がみられる方が多く、嚥下状態も考慮して行動すべきだと考えます。
患者に適した物を判断し提供する。そこには極めて細心の観察と注意が要求される。
ベッドの寝具類
寝具の交換を怠ると、患者の体から発散したものを吸い込んでしまうことがあり、これが患者の体に悪影響を与えてしまうことがある。
ベッドは広すぎず高すぎないものがよいとしています。ベッドは室内の一番明るい場所に置き、窓から外が見えるようにするのが理想と考えている。
また片側を壁にピッタリつけてはいけないとも述べている。
看護学校でベッドメイキングの演習やテストがあり、綺麗な三角形を折るように繰り返し練習した経験が多くの方にあるとは思いますが、私はこの項が関連しているのだと推測してます。
看護師はベッドシーツの交換、ベッド位置の調節等を行う必要があり、怠ってはならない
陽光
太陽光はビタミンDを体内で生成する作用があります。当時にこの構造が解明されていたかは不明ですが、ナイチンゲールは陽光の重要性を理解していました。
ビタミンDにより、免疫力をつけたり骨を丈夫にするという作用が働き、また陽光自体にも空気を浄化するという作用もある。
患者を治療するには、日光が取り込まれることが大切である。
日当たりの悪い場所にいると、衰えて虚弱になり、心身ともに衰えてしまう。
部屋と壁の清潔
入院環境を整えることは患者さんの消耗を抑えることに直結する。
床は濡れ雑巾で吹き、風通しを良くすること、壁も同様に清潔にし、色も重要だとナイチンゲールは考えている。
看護とは、患者自身の身体を清潔にすることだけでなく
まずは生活する環境を清潔にすることなのである。
からだの清潔
体の清潔、つまり皮膚の清潔では身体を洗うことはもちろん、衣類に吸着されている汗や老廃物、排泄物などを取り替えることも含まれています。私も病院では毎日清拭と陰部洗浄は必ず行っていましたし、衣類の着替えも週2~3回+汚染時にしていました。実習中は物品の位置は病院によって違うし、病棟の看護師は熱いおしぼりで清拭している中、お湯をボウルに張って熱いのを我慢しながら清拭をしていた記憶があります。なぜこんなことを?というのは、この項に由来しているんでしょうかね。
さらにナイチンゲールは皮膚についている不衛生なものは口から毒物を与えるのと同じ結果であると考えていたみたいです。中々過激ですね
身体は清潔に保つようにすることが重要である。
おせっかいな励ましと忠告
ナイチンゲールは看護師とは病人を元気づけようとして直面している危険(病気)を故意に軽く言ったり、回復の可能性を大げさに表現する行為は行ってはならないと考えています。
また患者と見舞客とのやり取りや、患者が何か自身の課題に取り組んでいるような時には、患者が思いのまま行えるように配慮すること。課題を終えた時や何もできない時には新しい課題を提供することも看護であると定義しています。
看護とは患者の思いを表出できるよう支援し、手助けする役割がある
病人の観察
観察とはそのままのことを意味している。ナイチンゲールは看護師は全ての感覚を使い、看護師は患者の個性を見分け、開いた質問を行い、異常があれば触診などをして観察し、なぜ痛くなったのか突き止めるようにしなければならないと説いている。
一方で閉じた質問を投げかけるようなことはしてはいけないとしている。
看護師は患者さんの様子を五感を使い観察またそのための知識と技術を
身につける必要がある
まとめ
ナイチンゲールの言いたい看護とは…
その人の生きる・生きたい力に力を貸すこと
だと私は勝手にまとめました。
それに加え、提供する看護が、上記のような患者の生命力の消耗を最小にするように配慮されるべきであるとナイチンゲールは伝えたいのです。
せっかく目指した看護師への道を辞めることなく、立派な看護師になれることを祈っています。